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断捨離はやりません

あけましておめでとうございます.
今年はcovid19の感染拡大で先行き不透明な年になりました.
皆様それぞれに悔いのない良い年になりますように.私も気を引き締めて全力で努力していこうと思っています.
新年を迎えましたが,今,私は荷物ゴミの中におります.年末に多くの荷物を,私のところへ運び込んだからです.何故そんなことになったのかと言うと,来週には,私の育った家の取り壊しが始まるからです.私は,小,中,高校も地元の公立学校に通い,大学も歩いて通える距離でしたので,引っ越しをしたことがありません.
私の育った家は,戦後に建てた始めは2部屋だけの小さなものでした.戦後の焼け跡はそのようなバラックばかりがありました.その後の70数年に増築や補強が行われましたが,ずっと同じところに住んだので,父母の物や私の物が山ほどで,高価な物は何一つありませんがそれぞれに思い出があります.そのため,大変気が進まない断捨離でした.9月のまだ暑い最中から週に2日程度通い荷物の整理を進めましたが,とうとう年末が来てしまい,選別の間に合わない残りを全部私のもとに運び込む羽目になったのです.

母は編み物が好きでした.私が小さいときに見た光景は,いつも頼まれた編み物をしている母の姿でした.母は田舎の女学校を出て東京にでて来ました.あるとき,下宿でネクタイを編んでいて、金色の絹糸を色合わして買うために,お店にそれを持参したところ,お店の主人が「見本でウインドウに飾りたい」といって買い上げてくれたそうです。「そう,恥ずかしいわね」と口では言ったものの,かなりいい値だったのでうれしかったそうです。松坂屋の斜め前の大きな糸やでのことでした。市役所で洋裁も習う時間があったようです.東都服装学校にも少し行ったそうです.兵隊さんの猿股を作るにも,糸を何センチも無駄にしないような時代のことでした.
私は子供の頃,毛糸を両腕に通して母の毛糸玉を巻くのを手伝いました.長い時間腕を上げて振っていると疲れるものです.セーター1着作るのに,20玉が必要と母から聞いていました.
母の遺ししセーターに毛糸の玉巻きを手伝いし幼き日の想い出

今回,母の残した毛糸の編み物や和服など,大きな7つの段ボールを田舎に送りました.田舎では使ってくれるそうです.
未使用の毛糸は友人の知るグループで使うというので差し上げました.

庭に私の分身のような樹齢70の枇杷の木があります.今,白い花を盛りとつけています.可哀そうですが,実をつけることなく今年は切られてしまいます.木は動けませんから.合掌
我食いし枇杷の種より育ちたる樹齢は七十の白き花盛る

 

 


物置に釣り道具を見て悔やまれる父の釣行につき合わざりし日々
父の軍隊手帳をウエブに公開し見知らぬ方に難読箇所の教えを受く

 

 

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