古典結晶群からシュブニコフ群へ★

投稿日時: 2022/11/01 システム管理者

 

◆空間群の構成とその一般化の仕組み
群$$G$$はその部分群$$H$$に関して剰余類の直和に展開(ラグランジュ展開)できる:$${G=g_{1}H+g_{2}H+g_{3}H+・・・+g_{r}H}$$
(ここで,$$r$$は部分群$$H$$の群$$G$$に対する指数である)
特に,$$H$$が正規部分群である場合が重要で,剰余類$${g_{1}H, g_{2}H, g_{3}H, ・・・, g_{r}H}$$は,$$H$$を法として群(商群$$G/H$$)をなす:
$$ G/H≅\{g_{1}, g_{2}, g_{3}, \dots, g_{r}\} $$
部分群$$H$$が正規部分群であるとは,すべての$$ g_{j} $$に対して,$${g_{j}Hg_{j}^{-1}=H}$$,すなわち$${g_{j}H=Hg_{j } }$$となることで,この性質のために剰余類の積はその代表系$$ \{g_{j}\} $$の積と同じ振る舞いをし,剰余類間の積はまとまって剰余類に移ることになる.剰余類集合の単位元は$$ g_{1}H=H $$であり,$$g_{j}H$$の逆元の$$g_{j}^{-1}H$$は,ラグランジュ展開の直和性から,必ず存在しなければならない.
従って,剰余類は商群$$G/H$$を作り,代表系$$ \{g_{1}, g_{2}, g_{3}, \dots, g_{r}\} $$はmod$$H$$でこれに同型となる.
このような群の仕組みで,群$$G$$(位数$$g$$)の正規部分群$$H$$(位数$$h$$)を法として,$$G$$に準同型な,位数$${r=g/h}$$の小さい群$$ \{g_{1}, g_{2}, g_{3}, \dots, g_{r}\} $$に還元できる.この原理を逆に使うなら,正規部分群を何らかの群で拡大し大きな群に戻すことができる.拡大に使う群に,反対称や色置換などの特性空間(超幾何空間)の対称操作を導入することで,古典群から黒白群や多色群などへの一般化が行われた.

古典群では3次元幾何空間の対称操作を扱うが,幾何学空間に反対称や色などの特性次元を付加した空間の対称操作を扱うことで,結晶の物理特性にも応用範囲が広がった.

詳細は講演ビデオをご覧ください.会員の山崎純一氏の協力で,字幕を付けたので,大変わかりやすくなりました.

◆2人のシュブニコフ
レフ・シュブニコフ(1901-1937)と,レフより14歳上のアレクセイ・シュブニコフ(1887-1970)がいる.シュブニコフ群のシュブニコフはアレクセイ・シュブニコフで,シュブニコフ=ド・ハース効果に名を残したレフ・シュブニコフとは別人(二人とも優れた物理学者)である.
ロシア人の名前は,(名前・父称・姓)のセットだが,2人とも父称が同じヴァシリービッチ(父親の名がヴァシリー)で,その上,顔もよく似ていると来ては,私は初めこの2人は兄弟であろうと推測した.
しかし,レフの祖父を調べると,ヴァシリー・シュブニコフで,その子に2人の兄弟がおり,兄の方はヴァシリー・ヴァシリービッチ・シュブニコフ,弟の方は,アレクセイ・ヴァシリービッチ・シュブニコフだった.レフ・ヴァシリービッチ・シュブニコフは,兄の方の子供であった.つまり,2人は甥と叔父の関係である.レフの祖父が2人の子供の兄(レフの父親)の方に自分と同じ名前のヴァシリーを付けていたので,私が混乱してしまったのだ.

シュブニコフ群は今回の主題なので後ほど詳しく取り上げる.ここでは,まず,甥のレフ・シュブニコフの悲劇的な生涯を紹介する.彼は,レニングラードのオブレイモフの研究室で金属の完全結晶成長の仕事をし,ビスマス単結晶作製でライデン,ドハース研究所へ呼ばれる(1926-1930).純度を上げる方法でビスマスの良い結晶を作り,シュブニコフ=ド・ハース効果を発見(ビスマスの電気抵抗は磁場印加下で増大するのは既知)した.磁気抵抗の精密な測定は,格子振動による電子散乱をとめる必要があり極低温での測定になる.結晶中の欠陥や不純物でも電子は散乱されるから欠陥のない結晶が必要である.純度を上げる方法で良い結晶を作り,レフは磁気抵抗が印加磁場強度の逆数に比例する周波数で振動することを発見したのだった.シュブニコフ=ド・ハース効果は,フェルミ面の形の影響を受けて起こる現象である.

◆ヨッフェ(1880ウクライナ生まれ,レントゲンの弟子)は,「ソビエト政権の最初の10年間の物理学はモスクワとレニングラードに集中させたが,今や分散の時が来た.産業と結びつく必要のある研究所は工場が存在する場所,産業のある場所になければならない」と主張し,1928年にハリコフ物理工学研究所創設につながった.
レフ・シュブニコフは,帰国しここで極低温研究所を立ち上げ,活発な研究を行った(1930年代).ハリコフの物理工学研究所にはランダウもいた.
ランダウの教育方針は,彼の作成した「理論ミニマム」をマスターすること.最初にランダウの「理論ミニマム」に合格したのは,カンパニエーツ,続いて,リフシッツだった.カンパニエーツは「理論物理学」,リフシッツはランダウと共著の「理論物理学教程」で,日本でも著名な良書である.
ランダウとシュブニコフは親友であったが,どちらもレフ(トルストイもレフ,ライオンの意)と同じ名前であり,痩せたレフと太ったレフと呼ばれていた.

[参照]物性研究(2018.5)斯波 弘行.