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片瀬豊さんと数学月間                竹内淳実(2019.7.19記)

投稿日時: 2019/07/30 システム管理者

15年前2004年春まだ寒い時節であった。片瀬さんから電話のお誘い「小林昭七さんが久しぶりに帰ってくる。集まらないか」とあった。(以下敬称略)

神田の鮨屋、ここの主人が片瀬の俳句仲間という、に集まったのは、片瀬、小林、山崎、小生の4名。ここで小林よりMathematic Awardness Week(MAW)の話が出された。1986年、上院決議に基づくレーガン宣言を掲げ毎年4月の1週間 数学キャンペーンである。片瀬は、これに大変興味を示し、帰米後小林より送られてきた資料で更に刺激を受けたようだ。MAWは1999年には月間、即ちMAMとして毎年4月数学と数学教育の強調活動を展開している。米国のこの数学活動は、日本が1950年代Dr.Demingの指導を受けた品質管理手法を、「トヨタの看板方式」にみられるTQC,QCサークルと発展させ品質のみならず生産性向上に寄与している事実に刺激を受けている。1980年NBC放送はIf Japan Can,Why Can’t We?と呼びかけ1981年Dr.Demingのセミナーが展開された。これを数学全般の啓蒙へと発展させたのは米国の叡智である。日本がQCサークルと実業、成果に集中している虚を突かれたとの感がある

。1986初年度よりのテーマは86TheFoundationDisciplin. 87TheBeauty&Challenge.

88.100YearsOfAmericanMathematics. 89DiscoveringPatterns.90Communicating.と多彩である。

手許に2004.11.23付け片瀬より小生宛に「甚だ勝手ながら○1998.Mathematics &

Imaging ○Math.Span All Dimennsions をお願いします」との依頼が残されている。2004までの⒛テーマ一覧表に既に8個の○がついているのは既約であろう。同月28付けで「ご依頼の翻訳2件同封します。この程度の翻訳でよろしいですか」と各々A4一枚に纏めた要約を送り返している。

 鮨屋に集まった4人は昭和23年共に一高に入学した同期である。片瀬、小林は同クラス、また二人とも戦時疎開で片瀬は諏訪中学、小林は野沢中学と長野県より進学している。同期生は総計400名、10クラス。3学年合せて1300名程が自治全寮制でここ自然科学棟の処にあった南寮から中寮、北寮、明寮 4棟で起居を共にした。戦後の学制改革は我々の2学年進学を認めず、昭和24年7月入学試験、9月開学の新制東京大学教養学部に再入学した。学生総数1800名。36クラス。文化・運動部の旧制からの承継、合同を一切認めずとの大学の強い方針のもと、11月数学研究会も発足した。

 片瀬は、昭和28年工学部応用物理学科卒業。東芝㈱に入社、自動車の前照灯開発、沖縄返還により右側通行から左側通行切り替えによるまぶしさの遮蔽、空港のアプローチライト、スタジオの近距離ワイド照明の開発など照明一筋に生きた。昭和35年照明学会に発表した「反射型の投光用電球―反射面あるいはレンズの設計方法―」の中で、1反射面の形状、2屈折形式による光束制御設計についての一般式を提起している。すべて方程式を立て、係数を模索しと、数学の大切さを身に染みて感じていたのであろう。